未完成なまま、それでも
これくらいの、夕焼けの名残りみたいな時間が、切なくて、好きでもある。
ずっと昔、
好きな人に会った後の帰り道に自転車をかっ飛ばしていた時間。
家に来てくれた好きな人を見送らなきゃいけない時間。
別れ道で止まって自転車にまたがったまま、友達と話してた時間。
仕事終わりの母と行くイオンの火曜市からの帰りの時間。
週末の習い事が終わる時間。
塾に向かう時間。
花火大会の会場で友達と合流する時間。
家でピアノが弾けなくなる時間。
たった一度だけ、大事な人にピアノを聴いてもらいたかった時間。
本や、音楽や、絵は
完成されたものとして世に送り出される。
それがかっこよくて、それが認められるものだと思っていた。
ブログでもSNSでも、上手に文章を綴り、上手にブログやSNSを運用できる人が
かっこよくて、認められるものだと思っていた。
何か表現したいのに、何かを誰かに届けたいのに、
自分にはできっこないし、やっちゃいけないとさえ思っていた。
ブログも、「未完成で許される唯一の場」的な話を、本だったかブログだったかで読んだけれど、それでも、うまく書けないと気が引けて仕方なかった。
だけど、
未完成のまま曲ごと抱き締めてもらったあの時。
未完成でも伝わるものがあるし、
未完成だからいいこともあるし、
何より、
どんな状態でも愛してもらえることがあると教えてもらったあの時。
こうしてひとつ記事を書こうと思わせてもらったあの時。
夕焼けや、夕焼けの名残りみたいな時間は
高校生くらいまでの日常の思い出が、重なる時間。
朝焼けよりも、日中の青空よりも、
きっとずっと多くの思い出が、重なる時間。
大学生になっても、大人になっても、
何度も何度も空を眺めた時間のはずなのに、
新たな思い出が増えることは少なくて
あったかくて、切なくて、愛おしい
昔の思い出ばかりが離れがたそうに蘇る時間。
黄昏時。
誰そ彼時。
人ならざるものに出会う時間。
もしかしたら、
過去の自分に出会う時間でもあるのかもしれない。
空が真っ暗になってしまうまでのわずかな時間、
さぁ、誰に、どこに、思いを馳せて会いに行こう?
明日もいい日でありますように。