大人の楽しみツール
今週のお題「お花見」
桜が咲いているのはどこだろう。
川沿い、公園、山。
この3箇所がダントツで多くないだろうか。
では、お花見をするのはどこだろう。
川沿い、公園。
これがトップ2じゃないだろうか。
もしかしたら私の友人みたいに「どうしても桜が欲しくて、おじいちゃんに頼んで庭に枝垂れ桜を植えてもらった」みたいな人や、「家から道端の桜見えるのよねラッキー!」なんて人も少なくないのかもしれない。
私はどちらでもなく、家の周りは全く桜の木がないので、今年は市内の公園にお花見に行った。
ちなみに、川沿いの桜並木と言えば東京では目黒だけど、千葉県では浦安市!だと勝手に思っている。
舞浜駅近くに夢の国があることで有名(?)な浦安市。実は、舞浜駅のお隣の新浦安駅付近から夢の国までの、川沿いを含めた市内の大きな道路はずーーーーっと桜並木である。これは本当にすごい。桜が満開になると同時に散り始める頃は、市全体が夢の国なのかと錯覚するほど。
ただ、目黒のように川土手ではなく普通の道路沿いなので、ゆっくり花見をするなら公園になってしまう。だけど、あの桜並木の下を歩くのは最高に気持ちが良くて、おススメです!
話が川沿いに逸れてしまった。
私が今回行ったのは公園。散々話にならした浦安市内ではなく、福岡県内のド田舎の公園。
満開の桜が咲き乱れる中、わりと大きめの公園なので、遊具がたくさんあり、それらで遊ぶ子供の声が元気に響く。
もう大人になってしまった今、子供達に混ざって滑り台を滑るわけにもいかないし、ジャングルジムに登るわけにもいかないし、ブランコで靴飛ばしをするわけにもいかない。
楽しそうだなぁと横目で見ながら公園の奥へ進むと、子供の頃一番大好きだった遊具が、桜の木に囲まれてまだ残っていた。近隣の2つの公園ではとうの昔に撤去されていたので、久しぶりにその遊具を見た。
このジャングルジムのロープ版みたいな遊具。
ロープが絶妙な強さで張ってあるので、しっかりしてるくせに、トランポリンみたいにビヨンビヨンと跳ねる。結構高さもある。それがたまらなく楽しくって、好きだった。
ご存知の方や、これ好きだった!って方はどれくらいいるだろう?
この遊具の名前なんだろう?と思ってGoogleで「ジャングルジム ロープ」と調べたら、「ロープジャングルジム」というやつらしい。………そのままやないか!
もう遊具で遊ぶ歳ではないと思うのだけど、あのロープジャングルジムの上の方から見る桜の咲いた景色は、とっても綺麗だろうなぁと思った。当の、現在登るお年頃の子供達は、桜に目もくれず遊んでいるのだけれど。
子供の頃、もっと遊んでおけばよかったと、遊具を見ると思う。
大人になったら子供の頃より「楽しむためのツール」はもっとずっと増えて、自由だ。子供が目もくれない桜だってそう。
子供は、遊具やDSやカードゲームや自転車くらいだろう。ゲーム類の「楽しみツール」はお金がいるから、手に入るか入らないかはそれぞれだろう。
そうなると、自転車で公園に遊びに行って、遊具で遊んだり、人がいれば物はいらない遊びをしたり、そんな遊びを生み出したりする。
なんて、ステキな時間だろう。
高校生くらいになって、お金でPSPが買えるようになっても、公園の遊具で友達と全力で遊ぶことはできなくなる。
社会人になって、お金を稼ぐためにお金をかけて「楽しみツール」を生み出すような仕事をできるようになっても、何も持たず体1つで全力で走り回る鬼ごっこや、ケンケンパはしなくなる。できなくなる。
もっともっと、遊んでおけばよかった。
もっともっと、遊んでいこう。
全力で。
明日もいい日でありますように。
やりたいことリスト100と突然の絶望感
今週頭くらいから、やりたいことリスト100を書いている。もう週末を迎えている今、まだ59個。どうしたものか、意外と100個書き出すのは難しい。
お金も時間も能力も才能も何の制限もないとして考えろというのが条件だが、それにしても、書いているとだんだん「これしょーもないかな」とか、「最愛の人と居られればそれ以外望まないかな」とか思えてくる。
(まだ隣に最愛の人が居ないので、「隣に最愛の人にきていただく」←やりたいことリスト1 )
だんだんリストを書くことに尻すぼみしてる様な感じだけど、生きる希望のようなやりたいことリスト100。
それを書いてた週の中頃、突然、どうすることもできないような絶望感と死にたい欲に襲われた。それは、お昼に某ショッピングモールのフードコートにいて、親子丼を食べたいと思って親子丼を食べ始めた時だった。
「今一番食べたいものを食べているから満足だし、これまでもこれからも全部全部ぜーんぶ、あらゆることが全部嫌!!なんかわかんないけど嫌!!無理!死にたい!!」と、フードコートにいる私は何食わぬ顔で親子丼を食べながら、心の中の私はライヘンバッハの滝へワープし滝壺に向かって大声で叫んでいた。
その時の絶望感たるや。これまでも躁鬱病や希死念慮に悩まされてきたけれど、群を抜いた絶望感!圧巻!スタンディングオベーション!その拍手で叩かれまくって死にたい!
ってぐらい、絶望感と死にたさに襲われた。
親子丼は美味しかった。
親子丼を食べ終えてから、友達に連絡して似たような体験をしたことがないか聞いてみると、「最近は全然ないけど、人生に期待してたときは時々あったなぁ」と言われた。
死にたい思うてるのに人生に期待してるんですかこれ!?って度肝を抜かれた。
確かに、死にたいというのは、そう思うことや気持ちを人と話したり共有したいと思っているからで、つまり、人と繋がりたい、生きたいと思っているからだという考え方に、冷静な時の私は頭が飛びそうなほど首を縦に振る。
友人も同じようなことを言っているのだろうが、「人生に期待」とはまた違う意味合いを持つような気がするのだ。少し胸がざわざわする。私は、人生に期待してるのだろうか。やりたいことリスト100を書いてたからだろうか。
その友人はその後、「死ぬまでにやることもっとあるでしょ!」の後に「タバコとか!ケンカとか!」と続けた。もうそれだけで、最高だなこの人はと思う。私はどちらもやったことがない。やりたくても怖くて出来なかったのだ。優等生を演じることなら優等生だ。でもどうせ死ぬなら、そりゃもうワルソと言われるものをやりたい、ぜひやりたい。
友人は続けて「各種賭け事とか!」と言ってきた。あぁもうぜひやりたい!
これがもし、「結婚とか!海外旅行とか!」なんて言われてたら、その提案と生きることの両方を即座に却下したと思う。いわゆる幸せと思われるものをぶら下げられても、それをやりたいとも生きたいとも思えないのだ。
だけど、多くの人はそういう提案を言う。もしくは「死にたいとか言っちゃダメだよ」「そんなこと言わないで」などと言う。正直、クソ喰らえと思う。
世の中そんなに甘くないとはよく言うが、希死念慮に囚われた人を引っ張り上げるのもそんなに甘くない。
今回は話した友人に助けられた。もうタバコとかケンカとかと言われた時点でかなり絶望感が消えていた。
あとは歳を重ねるごとに増す恐怖にも助けられた。死にたいと思ったらまず死ぬ方法に考えを巡らすわけだけど、溺死や首吊りを考えると死ぬまでの数分の恐怖が、昔よりもずっとずっと色濃く鮮明にイメージできてしまい、とても死ねないと思う。オーバードーズも考えたが、死にきれなかったときのことを思うと恐怖に打ち震えた。
おかげで、一日もすればあの絶望のスタンディングオベーションは全員着席して大人しくなった。
絶望感を救うのは、愛や温もりだけではなく、恐怖やワルソといったある種の絶望的なものだったりするのだとわかった。
(本当は最愛の人に抱きしめてもらって解決したい←やりたいことリスト2)
それにしても、かなり辛い時間だった。
これまで何度も辛いと思ってきたが、今が一番辛いと本気で思った。
辛い嫌だ死にたい!と滝壺めがけて散々叫んでいた崖っぷちから立ち上がり、滝壺に背を向けて離れ始めたとき、ふと、「今が一番辛いって、そりゃそうじゃん」と思った。
辛い、嬉しい、悲しい、楽しい。
ご飯を食べても時間が経てば消化され、またお腹が空くのと同じように、感情も、その感情を味わった「今」から時間が経てば消化されてしまう。記憶には残っても、また新たな「今」の感情が一番自分の近くにいる。
私たちが今味わうことができる感情は「今この瞬間の感情」だけ。
過ぎ去った感情たちは、思い出すことしかできないのだ。
そりゃあ採れたてで鮮度抜群の「今辛い!」が一番辛いだろう。
今までも、これからも、生きてる限り、何度も何度も「今が一番辛い!」と嘆き、何度も何度も「今が一番サイコー!」と笑い、味わい、思い出になっていく。
「今が一番辛い、死にたい」と思う自分を、少しは許してあげられるような、受け入れてあげられるような気がした。
そんな思いも簡単に、突然の絶望感や、夜の暗闇に飲み込まれてしまいがちだけど。生きてみるのも悪くないかもしれない。
生きてみナイト。
明日もいい日でありますように。
未完成なまま、それでも
これくらいの、夕焼けの名残りみたいな時間が、切なくて、好きでもある。
ずっと昔、
好きな人に会った後の帰り道に自転車をかっ飛ばしていた時間。
家に来てくれた好きな人を見送らなきゃいけない時間。
別れ道で止まって自転車にまたがったまま、友達と話してた時間。
仕事終わりの母と行くイオンの火曜市からの帰りの時間。
週末の習い事が終わる時間。
塾に向かう時間。
花火大会の会場で友達と合流する時間。
家でピアノが弾けなくなる時間。
たった一度だけ、大事な人にピアノを聴いてもらいたかった時間。
本や、音楽や、絵は
完成されたものとして世に送り出される。
それがかっこよくて、それが認められるものだと思っていた。
ブログでもSNSでも、上手に文章を綴り、上手にブログやSNSを運用できる人が
かっこよくて、認められるものだと思っていた。
何か表現したいのに、何かを誰かに届けたいのに、
自分にはできっこないし、やっちゃいけないとさえ思っていた。
ブログも、「未完成で許される唯一の場」的な話を、本だったかブログだったかで読んだけれど、それでも、うまく書けないと気が引けて仕方なかった。
だけど、
未完成のまま曲ごと抱き締めてもらったあの時。
未完成でも伝わるものがあるし、
未完成だからいいこともあるし、
何より、
どんな状態でも愛してもらえることがあると教えてもらったあの時。
こうしてひとつ記事を書こうと思わせてもらったあの時。
夕焼けや、夕焼けの名残りみたいな時間は
高校生くらいまでの日常の思い出が、重なる時間。
朝焼けよりも、日中の青空よりも、
きっとずっと多くの思い出が、重なる時間。
大学生になっても、大人になっても、
何度も何度も空を眺めた時間のはずなのに、
新たな思い出が増えることは少なくて
あったかくて、切なくて、愛おしい
昔の思い出ばかりが離れがたそうに蘇る時間。
黄昏時。
誰そ彼時。
人ならざるものに出会う時間。
もしかしたら、
過去の自分に出会う時間でもあるのかもしれない。
空が真っ暗になってしまうまでのわずかな時間、
さぁ、誰に、どこに、思いを馳せて会いに行こう?
明日もいい日でありますように。
五感と癒し 〜LUSHが好き〜
みなさんは、聴覚、嗅覚、味覚、視覚、触覚の中で、どれに一番癒されるでしょうか?
私は、断トツで食べることに癒されます、ストレス発散も食べることです(果たしてそれを「味覚に癒されること」に入れるか否かはさておき…)。
食べることを除くと、私が一番「癒されるなぁ〜」って思うのは嗅覚です。
匂いにつられてLUSH愛用者に
大学時代にアメリカに留学をしたときに、バスルームシェアをしていた先輩がLUSHのみつばちマーチ(甘いはちみつの香り)を使っていて、いい匂いだな〜と思っていました。その先輩と一緒に休日にLUSHの店舗に行き、自分で柑橘系のシャワージェルを買ったのが始まりで、それからは、シャワージェルを切らすことなく買い続けています。
一度は固形のみつばちマーチを使ったのですが、シャワージェルの方が匂いの広がりが強い気がして、リピートしているのはシャワージェルです。何年も使っているうちに、絶対的な決まりなわけではないのですが、気分的に、夏は柑橘系などのさっぱりした匂いのものを、冬は甘い系の匂いのものを使うことが多くなりました。
香水も使ったことがあるけれど
LUSHを使い始める前も後も、香水を買って使ったことがあるのですが、匂いの強さの加減がわからなかったのと、すぐに飽きてしまうのとで、使い切ったことはないどころか、ほとんど減ってないような状態のものを数本持っているような状態でした。
直接的な匂いというよりは、シャワージェルやルームフレグランス、蒸気のホットアイマスクの香りといった、間接的な匂いの方がどうやら好きなようです。
その間接的な匂いといえば、洗濯洗剤や柔軟剤にこだわる方も多いですよね。わたしは、洗濯洗剤や柔軟剤は買ったら使い切るのが大変だなぁと思い、なかなか試すことができず、特にこだわりはないです(笑)
匂いのものって、ちょっと高い?
香水も、LUSHのシャワージェルも、ちょっとお高い気がします。現に私も、友人から「LUSH好きだけど、高いからなぁ」という声をよく聞きますし、私も買うのに悩むときがあります。薬局などで売られているボディーソープに比べると、やはり値が張るのです。
香水もルームフレグランスも、色々なものを試してみるには単価が高かったり内容量が多かったり、こだわりが強くなればなるほど単価が高くなっていく気もします。
だけど、実際に使ってみないとわからないのが匂いですよね。
元々の匂いと、使ってみた時の匂い、持続した時の匂い、消え入る前の匂い。
全てが自分好みのものが見つかると、とても嬉しいものです。
私もLUSHを買い続けるか、値段とコスパを考えて迷った時もありましたが、LUSHの匂いへの愛を熱弁していると、「1日のうち1回でも自分の好きな香りに包まれる時間のためなら、他でちょっと節約してでもそれを大事にした方が良くない?」と友人に言われ、その言葉に深く頷きました。それから、自分が好きなものにお金をかけること、自分が好きなものを大事にすることに少しだけ、胸を張れるようになりました。
聴覚、視覚、触覚は?
聴覚だと、音楽や、雨や風の音、人の声でしょうか。
視覚だと、個人的には色より光が気になるし、癒しになるのも光です。曇りより晴れがいいし、夜の部屋の電気はオレンジ系の暖かい光、間接照明やキャンドルの光が癒しになります。
触覚は、洋服や寝具やタオル、湯船の温度や人肌でしょうか。
実際に書き出してみて思いましたが、きっとどれも同じくらいこだわっていて、どれも同じくらいお金がかかるような気がします。
癒されるものはなんだろう?
五感の癒しやこだわりはどれも日常的なことですが、少しだけ、どれが一番癒しだろう?と考えてみると、それを大事にできて、幸せを感じる瞬間が一つ、増えるかもしれないですね。
明日もいい日でありますように。
掴みかけたはずのものは何だったか
2日前の3月11日。11年前に亡くなった父方の祖母の命日だった、らしい。聞いたときに、え、ほんと?と思ったのは、それなら、7年前の大震災の時にはっきりと記憶に刻まれていてもおかしくないと思ったからだ。だけど、きっとその日も、そして、それ以外の年も、平日は学校や仕事でお参りにいけないからと、前後の土日でお墓やお寺にお参りに足を運んでいたからだろう。大学入学を機に地元を離れた私は、余計に祖母と疎遠になっていた。仏壇のない我が家には代わりに写真が置かれていたけれど、私が地元を離れた頃からだろうか、もはやその時期も定かではないけれど、いつの間にか写真がなくなっていた。
味気ないだろうか。もっと手を合わせるべきなのだろうか。
小さくて、柔らかくて、氷川きよしさんが大好きで、いつも小さな缶ジュースをくれた(8割方つぶつぶみかんジュースだった)、優しいおばあちゃん。
おばあちゃんの死が、私にとって初めての死との対面だった。病室で、失ったおばあちゃんの温かさの代わりに、兄の温かい手が頭の上に乗せられたのを今でも覚えている。それまでもお兄ちゃんっ子だった私は、それからもお兄ちゃんっ子のままだった。兄とは絶賛喧嘩中なので、なんかちょっと泣けてくる。早く謝らなければと思う。兄はともかく、思い出す日も、手を合わせる日も、とっても少なくなったけれど、忘れていないよと、今年の命日にはしっかりとおばあちゃんを想った。
命日の話からさらに思い出が掘り起こされた。
ちょうど、小学校の卒業式直前にお葬式だったので、卒業式のリハーサルを休まざるを得なかった。合唱の伴奏をやることになっていたので、最後のリハーサルに出られないことは、私にとってなかなかに大きかったのだ。
5歳から習い始めたピアノは、親にも友達にも聴かせたくなかった。中学の頃には近所迷惑を一番の理由に、自宅のアップライトピアノに、マフラーペダルを踏んだときにクッション機能を果たす布(音が吸収されて響かなくなる)を一枚増やしてもらったほどに、親に聴かれたくなかった。ちなみに、強弱つかないし鍵盤重すぎて練習には超絶不向き(笑)
学校の図工の時間に作る工作、描く絵、習字、理科のまとめノート、何かと書かされる感想文、一人ずつテストがある歌、何であろうと人に見せたくなかった。ピアノも含めた全てのものが、自分の頭の中も心の中も全てを露わにしているような気がして、それを見られたくなかったのだ。しかし、成績をつけてもらわないといけないので、もちろん担任の先生には見せていた。そんな私が、なぜか卒業式の合唱の伴奏をやることになったのである。よって、小学校6年生の時の担任には、ノートや絵の他にもピアノを聴かせる羽目になった。学校のグランドピアノに慣れるために、先生立会いのもと、一人で弾かせてもらったりもしたので、練習から聴かせざるを得なかった。
その担任はあまりピアノを弾ける人ではなかったこともあって、私が間違えても、間違えたことも含めて弾けることが素晴らしいと、褒めてくれた。毎日、連絡帳に赤鉛筆で一言を書いてくれる先生で、卒業式のリハーサルで伴奏をやった日にはだいたい、褒め言葉を書いてくれていた。卒業してから、何度も何度も連絡帳を見返した。絵や習字や理科のまとめノートも、褒めてくれていた。多分それまでの先生たちも褒めていてくれたのかもしれないけれど、残念ながら覚えていない。
連絡帳に書かれた赤鉛筆の文字を思い出したとき、もしかしたら、もっと人に見てもらい、聴いてもらい、褒められたり叱咤激励されたりと波風が立っていたら、私はもっと、自分が好きなことを好きでいられたかもしれないと、ふと思った。大好きだったけど誰に聴かせるわけでもないピアノは、だんだんと弾かなくなっていった。書くのが大好きだった文章も、絵も、授業でやらなければならない時以外はやらなくなっていった。いくら自分が好きなことでも、どんなに見せるのが嫌だったとしても、人に聴いてもらったり見てもらったり味わってもらったりすることが嬉しいのだと、ようやっと感覚的にわかった。
自分のためだけに生きるのは虚しい。誰かのためになりたい。
歌も、音も、声も、聴いてくれる人がいなければ、発する意味がなくなってしまう。
絵も、言葉も、ダンスも、見てくれる人がいなければ、発する意味がなくなってしまう。
受け手がいないと、発したものは生きてはいかないこと。
きっと何度も気づく機会はあった。なんとなく知っていた、この感覚。
こんなにも気づいているのに、友人達と繋がっているSNSでブログを紹介や拡散するのはとても気が引ける。私はこれを書きたいと思って書いているけれど、実際、友人のこんなのがSNSのタイムラインに上がってきたら、何だこいつと思ってしまわれるのではないか、いろんな思いを絵や音楽やダンスや小説で表すことができる人がカッコ良くて好まれるのではないか、ブログにしても、もっとうまく書くことができて読者がいっぱいいる状態でならいいのではないか。そんなことを思ってしまって、ちっとも拡散できない。だけど、別アカウントを作ることも違和感で、それはそれで違うのではなんて思ってしまう、というか不器用でめんどくさがりなのでできないだけである。
カッコ悪い自分を、晒すのが怖い。
自分の中を、晒すのが怖い。
でももう、実際にやっている人を「いいなぁ」と指を咥えて見ているのはやめたい。
でも怖い。
怖さでやれない自分で晒すのが怖い。
そんなことを思いながら、自分が変わりたくていろんな人に会いまくっていた2年前に出会った人が私のことを書いてくれていたブログを読み返した。2年前の私は「自分を責めるのがダメだとわかっていても責めてしまう、そんな自分を責めてしまう」という無限ループのような悩みを話していたらしい。その人は、それでもいいと、それさえも認めてあげられたらいいねと、世の中は私が思っているよりずっと優しいよと教えてくれた。2年前のその時は、確かにそのことを掴んでいたはずなのだ。そのことを掴み、次へ、また次へと足を踏み出し、人と出会ってきたはずなのだ。それなのに、いつの間にか掴んでいたはずのものを落としてきたようだ。今はまた同じ悩みループに突入し、「世の中なんて。こんな私なんて。」と疑心暗鬼と自己嫌悪という名の自己愛が全開である。
昔と同じような悩みにぶち当たる度、私は何も変わっていないのかと愕然とする。
愕然とする度、連絡を取ろうと思う人たちは皆、昔と何も変わらず優しい。
そんなに人は簡単には変わらないってことなのか。
それとも思い出す人や出来事が変わって行くことが、変わっていっている証なんだろうか。ただ、生きているっていう証なのだろうか。
変わっていっても、変わらなくても、生きていっていいのだろうか。
5文字程度の、たった一言のLINEに盛大に傷つくような弱くてカッコ悪い自分を晒しながら生きていってもいいのだろうか。
生きていっていいと言われるのかはわからないけれど、
笑われても、後ろ指さされても、叩かれても、
私は私を生きたいのだ。
昔、そして、今、
掴みかけたはずのものは、果たして何だったろうか。
掴んだものは、何だろうか。
明日もいい日でありますように。